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4月 30th, 2018

4月 30 2018

名古屋相続事件簿 その12(家なき子の特例)

相談者:法務ズ先生、母が亡くなって母の持ち家を相続したんですが、相続税がかかるか相談してもいいですか?

法務ズ:いいですぞ。お父さんはご健在ですか?

相談者:いいえ。先年なくなって母一人で生活していました。相続人は私だけです。

法務ズ:相続財産には何がありますかな。

相談者:50坪ほどの自宅と預貯金が少しばかりあります。

駅前のいい場所ですから、地価も高いですし、合計すると基礎控除額を上回ります。

そこで、小規模宅地の家なき子の特例が使えれるか相談したいんです。

法務ズ:小規模宅地の家なき子の特例が使えるには

① 配偶者も同居していた相続人もいないこと。

② 3年以上、自分の持ち家に住んでいないこと。

③ 相続が発生した日から10か月間は所有し続けること。

の要件を充たさんとな。

相談者:父が亡くなったとき、母の相続を考えて、自宅を子に譲っておいたんです。

もう3年以上経っていますので、②の要件を充たしています。

法務ズ:用意周到な話じゃ。しかし、平成30年の改正で不動産名義を工夫して

家なき子の特例を使う方法は禁止されたので気をつけてくだされ。

ただ経過措置があるので、ぎりぎりセーフですかな。

4月 30 2018

蟹江のベットタウン化

私が生まれ育った芝切は、日光川と佐屋川で挟まれた地区にある。

佐屋川といっても日光川の三日月湖のようなもので、

海には通じていなかった。

佐屋川を渡って芝切りに入るには

蟹江駅方面からだと霞切橋

舟入からだと夜寒橋を渡ることになる。

霞切橋は佐屋川の川幅が狭くなったところに架けられており、

江戸時代の絵図にも霞切橋が描かれている。

霞切橋とか夜寒橋とは何か情緒のある名前である。

小学生のころまでは

芝切の実家から日光川までは田んぼだけで何もなかった。

一面の田園風景であった。

ところが中学生になるころから、次第に田んぼが埋め立てられ

急速に住宅が建っていった。

昭和40年代から昭和50年にかけて

蟹江は名古屋のベットタウンへと変わっていった。

日本の各地で見られたのであろうが

平成ぽんぽこたぬき合戦のような情景が蟹江にも起きていた。

 

 

4月 30 2018

蟹江の漁業

蟹江の舟入地区は昭和30年ころまで漁業で栄えた地域だった。

蟹江川を下ると日光川と合流し、伊勢湾に注いでいる。

河口に近づくとほのかに磯の香りがしたのを覚えている。

舟入の漁師は、伊勢湾沿岸や日光川・蟹江川で漁をしたらしいが、

私の記憶の中にはない。

舟入あたりの蟹江川には

崖屋造りのような建物が堤防から川にはみ出すように家が建てられていた。

川から直接、荷揚げするのに使われたらしいが、

私が小学生のころは

八百屋だとかいろいろな店が立ち並んでいたとように覚えている。

昭和34年9月の伊勢湾台風は蟹江の町を大きく変貌させ

舟入の漁業も衰退させた。

当時、私は3歳であったのでよくわからないが、

伊勢湾台風と急激な都市化の波が

蟹江の町を変えていったように思う。

 

 

 

 

 

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